自分を変える

きょうだい児として生まれて、親からほしかったもの

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こんにちは、らぷです。

まずはじめに、初めてこのブログを知ったという方の為に簡単に自己紹介をしたいと思います。


私(らぷ)には10歳離れた姉がいます。


姉はダウン症という先天性の知的障がい者で、飲食以外の身の回りのことなどは何も出来ません。
(※ダウン症についての詳しい説明は割愛しますが、軽度から重度まで症状は様々です)

いっぽう妹であるわたしは、姉が障がい児ということもあり、
妹のようで妹ではない
2人姉妹のようで一人っ子という育て方をされました。

そして、このブログは、そんな自分の中でのいろんな葛藤や強い自己否定感を抜け出して
自由気ままでラクにこれからの人生を生きたいという思いを込めて運営しています。

今回どうしてこの記事を書こうと思ったのかと言うと

●障がい児と健常児の子供を育てていて、健常児の子の育て方、接し方に悩んでいる
●兄弟姉妹が障がい児だけど、健常児である自分がどのように親に接してほしかったのかという子供目線からの記事が少なく、知りたい人がいるのでは?

といったお声を頂いたことがキッカケでした。

ちなみに、兄弟(姉妹)が障がい児で、そうでない子どものことをきょうだい児と言うそうです。

わたしの場合だと、姉が障がい児なので、わたしがきょうだい児ということになります。

結構ヘヴィな内容になっているので、苦手なかたは読まないほうがいいかと思います^^;

きょうだい児の育て方・接し方はどうすればいい?

先ほども書きましたが、きょうだい児というのは、障がいや病気をもった子の兄弟姉妹のことをいいます。

で、そんなきょうだい児に対してどんな育て方・接し方をすればいいのかということについてですが、結論から言うと

正解なんてない

ということ。

ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、
たとえ、健常児の兄弟姉妹でもきょうだい児だったとしても

ほかの子と比べるようなことはしないでほしいということです。

ほかの子というのは決して、よその家の子という意味ではなく
”兄弟姉妹間であっても”という意味です。

つまりは、その子自身をちゃんと見て接してあげてほしいということ。

人というのは、誰かに役割を与えられた瞬間に、そういう人になろうとします。

「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい!」という”しっかり者のお姉ちゃん”という役割を与えられたら、どこか無意識的に自分はしっかりしなきゃいけない人間になってしまうのです。

子どもってめちゃくちゃ敏感で、直接「しっかりしなさい!」って言われてなくても、親や周りの雰囲気から感じ取ったりします。

なので、誰かと比べるようなことだったり、その子の”個人”を否定するようなおしつけ?はあまりよくないのかなぁと。
お姉ちゃんだってお兄ちゃんだって甘えたいときは甘えたい。そんなもんです。

言わなくても愛情は伝わってる!そんなわけない。

愛情というものは、わざわざ言葉で言わなくても子どもに伝わっているって思っていませんか?

よく男女関係の間でも喧嘩の原因になったりすると思うのですが
日本人は特に苦手ですよね、言葉で愛情を伝えるのって。

でも、子どもに対してちゃんと言葉で愛情を伝えるのってめちゃくちゃ大事だと思うんです。

もっと言うと、「あなたはあなたらしくでいいよ」っていうことをちゃんと伝えてあげてほしいなと思います。

小さな頃からきょうだい児として生まれた子は、必ずどこかで他の家庭の健常児以上に我慢する場面があります。

そんなときに子どもの我慢を真に受けて、この子は兄弟姉妹のことをちゃんと理解してくれているから大丈夫、だとかは思わないでほしいです。
ほんとはもっと甘えたりしたいんです。
ただ親を困らせたくないだけなんです。

きょうだい児だからって逆に過保護になる必要はありませんが、自分もちゃんと愛されているんだという感覚はきょうだい児にとって(というかどの子どもにとっても?)すごく大事。

大人でさえ、愛したいし愛されたいと思うのに、子どもにそれを伝えなくてどうするんですかっていう話です。

らぷの場合はというと

つい最近母から聞いた話ですが、
わたしの場合ちゃんと自立できるようにと子どもの頃から意識して育てていたそうです。

この子はしっかりした子に育ってほしいから甘やかしてはいけない

お姉ちゃんは自分では何もできないけど、あなたは自分でできるでしょ?

突き放していた部分はある。 そう言われました。

ただ私はこう思いました

いやいやいや。酷くない?それ。

姉のことで手一杯で、わたしにかまえなかったかもしれない。

けど、どうしてそっち都合なんだよ。
そっちの都合で産んで突き放すっていう意味がわからない。

生活面では何不自由なく育ててもらったと思う。
小さな頃から習い事させてくれたし、進路でゴチャゴチャ言われたことなもかった。

けど、わたしがなにより欲しかったのは
いっぱい母親に甘えることだったんだよ。

どうしてそんな余裕のない接し方しかしてくれないの?

お姉ちゃんがコップ投げてわたしに当たったときに心配すらしてくれなかったよね?

夜更かししていた自分の娘をゴキブリ呼ばわりしたよね?

「あんた、夜にコソコソしててまるでゴキブリみたいやな!」って。

ほかにもたくさん我慢したことがあったよ。

困らせたくなかったし嫌われるのが怖かったから。

とまぁこんな感じだったので、愛情を感じたかというとほぼ皆無でした。

なかでもゴキブリ呼ばわりはマジできつかったです。

心の中でいつも考えていたこと

わたしは何回か、死のうと思ったことがあったし、姉を殺そうと思ったこともありました。

自分が死んだら悲しんでくれるかな?とか母親に後悔させることができるだろうかと。
姉に対しては怒りしかなかったから。

まぁ、本当に死ぬことも姉を殺す勇気もこれっぽっちもなかったですけど。
ただそれくらい本気で悩んでいました。

いま思えばどんだけヤバイやつなんだって感じですが
わたし自身が上手に愛情を受け取ることができなかったのですよね。

やりたいことをやらせてもらったり、物を与えられたりしたけど
そんなもんよりほんとは愛情が欲しかった。

姉の世話で余裕がなかったのはわかってる。
でも、これだけしてるんだから言わなくてもわかるでしょ?という態度ではなくてちゃんと笑顔で、優しい言葉で、伝わるような愛情がほしかった。

これは当時はもちろん、いまでも心のどこかで引っかかっていることです。
なかなか言えないですけどね、こんなこと^^;
いい大人が何言ってんだと。

きょうだい児も求めるものは同じ

幸い、姉が障がい児であることを理由にいじめられたりしたことはありませんが、
いつの頃からか、自分で自分を制限するようになっていたと思います。

まぁ、こういう家庭で育ったからこそ今こうして自分の人生や在り方というものに向き合うキッカケにはなりましたが。

これはわたし個人の意見ですけど、障がい児がいる家庭だったとしても、健常児の家庭でも子ども本人が望んでいることって親からの愛情だと思うんですよね。
とくに母親からの。

何不自由なく育てられたっていう物質的な愛情以上に、
子どもながらに『お母さんはちゃんと自分を見てくれているんだ』って感じられることが何より大事な気がします。

多様性の時代になったとはいえ、人というのはまだまだ自分が知らない世界を理解しがたいし避ける傾向があります。

わたしがまだ小さい頃に家族で出かけた時に、姉が突然上げた奇声で周りの通行人がこちらをジロジロ見ていたことはなんとなく覚えています。

そういう面からも他人の目というのを極度に気にするようになった可能性はありますが、結局のところ母親からの影響が一番デカイんですよね。

こんなことしてお母さん困らないだろうか?

喜ぶ顔が見たかったから一生懸命いい子になろうとした。

でもほんとは全然いい子じゃないし、気まぐれだし基本的にぐーたらだし(笑)

わたしは母親になったことがないので、子育ての大変さというのは想像もつきません。

ですが、今回のテーマで子ども側として言えることはやはり
いち個人として、親からどう扱われるかというのがカギだし
わたしの場合はそれが、優しく接してほしかったしちゃんと愛情を伝えてほしかった
といったところでしょうか。

なにか参考になれば幸いです。

ABOUT ME
らぷ
こんにちは! 『自由をもとめる気まぐれメタラー』らぷです^^ メンタルブロックが多いわたしだけど、生きかたや働きかたも自由がいい! 自分らしく生きることを目標に日々奮闘しています。

POSTED COMMENT

  1. 烏丸桂一 より:

    らぷさんは、いいお母さんになりそうですね♪

    • らぷ より:

      コメントありがとうございます!

      子どもが求めるお母さん像と、実際の子育てってまた違うものだろうなぁって思っています^^;
      だからこそ、自分のブロック・思い込みを外せるかどうかは凄く大事なんですよね。

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